10月に行われた歴史を楽しむ会の第三回目、今回はテキストの「律令国家の建設」(飛鳥・奈良時代)を輪読し、その後ネットの解説動画を観ながら感想など話合いました。

この時代は日本という国をいかに作っていくかという創成期です。その中心となった天才聖徳太子は、隣の大国「隋」との外交に最高のタイミングで親書を送り、属国でない対等な国の地位を得ます。また政治や文化の面でも隣国の良い部分を取り入れながら思案や模索を続けた時代です。

西暦604年に発布された「十七条の憲法」は、世界史から見ても道義的にとても質の高い内容です。第一条「和をもって貴しとなし…」から始まって、仏と法と僧を守り…役人は庶民を守り…各自分にあった任務を果たし…嘘偽りのないまごころを持ち…他人に嫉妬の心を抱かず…私心を捨て、公の立場に立って…大事なことは皆と論議して決める…など。そして第一条和を以て貴しとなす…に戻ると、この「和」の意味がただ単に仲良くとか平和にとかでなく、もっと深い意味の「調和」を目指していることが理解できます。

おそらくは、神道と仏法の調和、民と役人・貴族の人権の調和、租税の地方と中央の調和、伝統的な文化と新しい文化の調和、などが大きな課題であったろうと思えます。これらを対立軸で捉えることなく、合議と私心のないまごころと協調精神で調和させていくには施政者には相当な人格的信頼や権威が必要です。まず施政者側の道徳性を正していくこの憲法は、いわば道義国家建設の基礎となったはずです。

この質の高く今の私たちが聞いても遜色の少ない憲法が7世紀初頭に書かれ、国造りの指針となっていたとはまさに驚きでした。加えてこの憲法の道義的な部分は、現代の我々の価値観や美意識にちゃんと残っているんだと思えてきました。(艫居大輔)