第七話 「廣池千九郎の語録」特集
“伝統報恩の精神と目的を持ってする努力は、運命改善の源をなす。事業発達の精神と目的を持ってする努力は、欲望を含むが故にその結果は小なり。(*伝統=親祖先、社会や国家、精神的な支えとしての恩人の系列)”
“自宅に神を祭ることが人心救済の入門なり。これを躊躇するものにては到底真の最高道徳者にはなり得ず。真の安心・幸福は実現せず。 (*最高道徳=マナー、エチケット、社会規範等の一般的なモラルの行為や実践に、相手を心から思う慈悲心を伴う道徳) ”
“(1)伝統を立てず、(2)慈悲心なく(3)場合を考えず。その結果はよくないことは当然なり。末路お気の毒なり。」
“迷った時、行き詰まった時は、伝統のことを思え、自然と道が開けてくるものである。結果良くなるのである。例えば、親のことを思い、安心満足してもらうにはどうすべきかと考えるのなら、こころが天地の行動に乗るから、神力によってみちがつく。”
私たちは、道徳の本質(先縁尊重、知恩、感恩、報恩)を通して、人や自然と繋がっているのです。日々生活の中で、諸恩人のおかげで”生かされて生きていることを自覚し感謝の心づかいで家・社会・国・私恩に感謝し報恩する生活をすることが、安心・平和・幸福への道に繋がります。決してインスタントな結果を求めるのではなく、末永い累代永続を目標に努力をしていくことです。
廣池千九郎先生は、昨年(2016年)で、生誕150年を迎えましたが、1928年に『新科学モラロジーを確立するための最初の試みとしての『道徳科学の論文』を出版し、その内容は初めて道徳の重要性を提唱したものでした。
長い年月をかけて、生命の進化にも通じる、この道徳の本質を発見しました。それは、私たち個人や社会が成熟しながら、相互に安心や幸福へ向かうための精神的な基本要素であり、その力を最上の状態で活用する理論と方法を、人類の師と呼ばれる諸聖人の事跡に求め、体系化しました。
そこで見いだした質の高い道徳性(=諸聖人が実行した、万物を生成化育するような慈悲や愛の心に基づいた道徳)を「最高道徳」と名づけました。モラロジーとは、この「最高道徳」の存在と内容を、科学的に説明した学問です。この質の高い道徳性は、決して堅苦しいものではなく、本当の意味で人の心を解放する道を示しています。
モラロジーは、廣池千九郎先生が亡くなった後も、指導教育された人々に生きる指針として生かされ、多くの優れた人材が育ち、今も尚、累代に渡り継承されています。日々の生活、人間関係の中で、相手や周囲の喜びや幸せを思う「最高道徳」を実践実行することで、人間力が磨かれて、品性が向上し、生涯学び続け実行するうちに、必ず安心で心豊かな人生を築けます。廣池千九郎先生が目指したのは、自分も相手も社会も、共に幸せを享受できる生き方であり、それは、実に伸びやかで生命力に満ちた新しい総合人間学なのです。