新学期が始まりました。
我が子が初めての幼稚園児やピカピカの小学一年生となって、真新しいカバンや帽子を身につけて通園、通学する姿は何とも微笑ましいものですね。
一方で、新しい世界を前に、嬉しいような、ちょっとドキドキするような、、、複雑な心境を親子で味わっている頃でもありましょう。晴れて入園したものの、ママから離れる不安と恐怖から送迎バスへの乗車拒否や園の入り口にて泣き叫んでの登園拒否などというアクシデントも起こりがちなこの頃。。。これらは一見困った現象として親の精神的不安材料にされがちなのですが、子どもの発達過程としていかに受け止めるか?という事について、とても興味深い著書に出逢いました。
『ちゃんと泣ける子に育てよう 親には子どもの感情を育てる義務がある(大河原美以著/河出書房新社)』です。
大河原さんは、著書の中で、「親には子どもの感情を育てる義務がある」と述べています。更に「子どもが生まれたら、よい子に育てたいって、ふつうみんな思います。よい子に育てたいと思ったら、がまんづよい子になってほしいって、ふつうそう思います。ところが、それが大きな誤解なのです。一般的に『がまんづよい子』と言った場合、感情を出さない子、つまり、すぐに泣いたり、怒ったり、ふくれたり、すねたりしない子をイメージしますよね。そういう子のほうが、よい子って評価されるわけですから。でも感情を育てるってことは、感情を出さない子に育てることではないんです。むしろ、ちゃんと感情を出せる子に育てることなのです」と。
ムムッ?!…感情あらわで親に迷惑かける子がふつう???入園入学時のみならず、子どもに泣かれたり、駄々を捏ねられたり、、、と感情剥き出しにされた時、親は、まずその状態を平常に戻す努力をするのですが、その時の動機、目的が、案外、周囲の目や親のメンツに基づいている場合が多く、泣き止んで言う事をきいたらよい子という思い込みから、「泣くんじゃないの!」と脅し半分?で泣き止ませ、その場ではよい子になったとしても、それはある意味親の自己満足であり、子どもの本来の感情の行き場を失わせているという事に気づく必要があるようです。
これは泣きっ放しにさせておけばよいとか、子どもの要求に即応じるという事ではなく、その時の感情を受け止め、理解し、「嫌なのよね…」「悔しかったんだ」「悲しいよね」「それがしたいのよね」という言葉がけをしながら親の腕の中にしっかりと抱きしめてあげることが、子どもの感情を順調に育てる事になるという事です。
それをせずに親の意向を押し付けたり、子どもが持つ本来の生きる力の源である感情を封印してしまうと、親の顔色を見て親の前ではよい子になろうと努力してしまい、その感情の捌け口として親の見ていない所で発散させたり、大人になっても自分の感情をコントロールできなくなる傾向のリスクをむしろ警告されています。
幼いうちは、悲喜交々の感情を思い切り放出して受容して貰える…というその安心感こそが、その後の発達段階を経て、がまん強く節度ある思いやりのある心優しい人柄に形成されていくとは、、、眼から鱗の話。
親にとってはなかなか根気のいる事ですが、本来、子どもは親に迷惑をかける位がふつうで健康的!そして『愛』というのは手間ひまかけて信頼関係〜熟成の道を辿るものと心得て、手間ひまかけたお料理やお酒に深い味わいがあるごとく、気長に子どもの熟成を味わってみたいものです。(Hitomi)