関東では梅雨入り前から真夏のような暑さとなり、季節の流れがオカシクなっている感がありました。
それでもお外に出れば至るところに紫陽花が色とりどりに開花して、ようやく入梅宣言が出たら、6月(水無月)の風情を一気に取り戻しているこの頃。。。ちなみに「水無月」とは、梅雨の時季なのに水が無いと書くって?と不思議でしたが、この「無」は、「無い」という意味ではなく、「の」という意味なのだそう。「水無月」は「水の月」って読んでみて、なるほど納得! しかも「田んぼに水を引く月」を由来とするのだと知って、甚だ!納得した次第。
都市部に住んでおりますと、田んぼという風景は日常から縁遠いものですが、日々の食卓や飲食店には欠かせないお米やお酒の「生い立ち」を辿れば、それらは皆、田んぼから発祥しているわけで、、、しかし、田んぼがあるだけではお米の成長、収穫にたどり着けるまでには行かず、、、田植えから始まり、この時季「水無月」には田んぼに水を引いて、、、と、季節に合わせた丹念な作業が農家の人々によって継続されるお陰での収穫で、その後ようやく私たちの食卓へ、そして胃袋に辿り着くって、実は本当に有り難く感謝すべき事なのですよね!
東京に居た夫の両親が、老後は生まれ故郷で暮らしたいという事で、私達夫婦が結婚して数年後に信州安曇野に移り住みました。子供達が成長していく1990年代の頃、夫はお仕事一筋の多忙な日々でしたが、毎年の夏休みは家族揃って安曇野の夫の実家への帰省が恒例でした。
日頃は海辺に住む環境から夏はいざ山辺に〜!と、私の子供達は環境的には実に贅沢をさせて頂きました。北アルプスの麓に田んぼや畑の広がる安曇野の長閑な田園風景に癒されながら、実家では庭を飛び回るカエルを追いかけ、義父が近くの畑で育てた野菜が食卓に上り、親戚の農家では甘くて美味しい巨大スイカをこれでもか〜!と言うほど食べさせて貰い、広い裏庭の納屋を探検したり、、、と脱日常を満喫。移動の車から見える景色はアルプスや槍ヶ岳などの連なる山々と田畑のパノラマで、車内BGMは久しぶりの孫との再会でテンションマックス!の義母のお喋り。
そんな何気ない田舎の思い出は、今は社会人になり、妻子を抱える身となった息子や娘の記憶に確実にインプットされていて、夏になると家族で田舎へ行きた〜い!という思いに駆られるようです。
今後は益々AI化やIT化が進む時代だからこそ、未来を託す子供たちには、幼い頃に田んぼや海辺の風景、大自然の感触を沢山味わってもらいたいと切に願うものです。幼い頃に体験した、それらの記憶や思い出が、大人になった時にしみじみと感じられる“多くの恩恵への気づき”にきっと辿り着くものだから…(Hitomi)