「つれづれなるままに〜」で始まる『徒然草』の作者、吉田兼好は、鎌倉時代末期の随筆家で和歌の才にも秀でた人であったそうで、「花は盛りに」から始まる『徒然草』第137段では、「花は満開の時のみを、月は雲がない状態の時のみを見るものではない。降っている雨を見て思いを馳せる月や、今にも咲きそうな梢、花が散ってしまったあとの庭などにこそ、しみじみとした趣深さがある」という内容が記されています。

う〜ん!なるほど・・・何とも奥深い感性!確かに、雨天に思い出す月、今にも花咲きそうな梢、花が散った後の寂しさなど、、、人生の人間模様やドラマに垣間見られる感情、風情とも重なりますね。

奇しくも、この兼好が生きた鎌倉時代末期は、幕府の権威が地に落ち、朝廷も皇位を巡って争いを続けており、明日の自分がどうなるかも分からないという戦乱の世であったそうで、そのような中で鎌倉仏教と結びついた『無常』という思想が生まれ、『徒然草』の根底に流れるこの『無常感』は、「全てのものは絶えず変化していくものである」「この世のすべては幻で、仮の姿に過ぎない」という二つの考え方に起因する思想であるという。しかし、この『無常感』は、決して投げやりで消極的な意味ではなく、人生や生きることに対する前向きな意味が込められているというのです。

人はいずれ死ぬものであり、明日もその先もどうなるか分からないもの。。。しかし、「どうせ未来を考えても先のことは分からないのだから……と嘆くのではなく、今を大切にすることこそが本当に大事なこと!」と。「今、自分を取り巻く全てのものにしみじみとした趣を見い出し心を満たすことが、心豊かに生きるコツ!」という示唆は、まさしく今の世の混乱にも通用する貴重なアドバイスに思えてきます。

実はこのアドバイス、子育てサークルでも、私が常々お伝えしている事でした。

子どもに関するお困りごとや心配ごと、ご主人に対する不満や忍耐、、、などなど、私達の日常は、ともすると大小問わずの不安や悩みで満たされがちですが、今の状況はずっと永遠に同じ状態が続くものではなく、対処の仕方、時間の経過で必ず変化していくものなのだ……という視点がスッポリ抜けてしまうが為に、永遠に今の苦しみが続くかのような錯覚に陥って心安まらずの方が多いですね。

反抗的な子供の言動や夫婦の不穏な関係に直面しているまっ最中には、「今、自分を取り巻く全てのものにしみじみとした趣を見い出す」などの境地には、とても至りませんが(笑)、少し間を置いて一呼吸置いた時に、相手に向き合うことから自分の心に向き合い、そして少しでも視野を拡げる事に取り組めるようになると、大分楽になれるものです。悩みは全て幻で仮の姿と考える……。

悩みの多くは自分の中の執着(幻)からくるものですから、その執着から少しでも遠のく為に、他の誰かの役に立つ事、喜ぶ事を考え、行動するようにお伝えしています。例えば、離れて暮らすご両親や親戚に電話をする、手紙を書く、ギフトやお見舞いを贈る、サポートが必要なママ友や友人や近隣の人々の為に動く、、、自分の家族以外の人々の為に考えたり動いたりする事で、悩みと執着のマイナスエネルギーを新たな気づきと喜びのプラスエネルギーに換えられます。

私は、心の中に執着が現れた時には、特に人様の事で動くようにしています。

まあ、これは敢えて自分から変化を起こしていくという作戦なのですが、、、そんな事をしているうちに視点が変わり、そしていつの間にか時間とともに執着も薄れ、相手を受け入れられるようになったりもして、自分も相手も心地良い関係になっているって、とても前向きで素敵な生き方ではありません?

人生と日常と更に私達の心は晴れの日ばかりではなく、雨も、風も、台風も、地震も、事故も!…と、色々な事が巡ってきます。それなりの備えは怠らずとも、いざ遭遇した時には、どれもこれも吉田兼行さんの『前向きな無常感』を思い出し、その深い趣を味わってみてはいかがでしょうか…。(Hitomi)