第四話『創造とは 夢と祈りと実践』
最近目に余る不行跡が目立ち、自己中心の利己心から権利ばかり要求し義務を果たさない事件が多すぎるように思います。人の心や物を大切にする国柄さえも、なくなってしまってはいないかと言う思いをしますが、ここに今一度、我が国日本の国柄を辿りながら、「創造とは?そして働く意味とは?」を考えてみたいと思います。
私は建築家が本業ですが、神社仏閣の宮大工と言われる人は、現場に入る時には潔斎(飲食その他の行為を慎んで身を清めること)をし、白装束で現場に足を入れる前にも神仏に拝礼して仕事にかかりました。仕事にかかると、木の素性を読み穴を掘り、1ミリの狂いもなく加工していきます。柱の役目、土台の役目、屋根張りの役目の木材を使い分けて何十年ももたせます。
大学時代の同級生の父親で、最後の宮大工と言われた平田雅也さんから聞かされた話に、ある日、自分が工事した邸宅が火事だと連絡があり、急いで懐に匕首(あいくち=短刀)を忍ばせて駆けつけました。幸い一部のボヤで大過なく収まったと言われましたが、「なぜ匕首を持って現場へ行ったのですか」と質問したところ、自分が依頼された建築を自分のミスから起こしたこととなれば責任を取って自害する覚悟であったと聞かされ、プロとしての心構えを教えてもらいました。
その後、平田雅也さんの二代目として同級生が後を継ぎましたが、阪神大震災の折には、平田さんが手がけた建物のオーナーからの補修工事や建て替えの依頼を、手がないからと断っても、できるようになるまで待っているので是非にと依頼されたと聞きました。プロの冥利に尽きます。まず、クライアントの依頼を十分理解し、創造し、実現することが、モノつくりにとって最高の喜びになります。
…仕事は祈りであるということは、自らの最善を尽くして、それ以上は神に祈るということである。この気持ちに徹すれば、いつも楽しく仕事が出来、たとえ仕事の上に、一時的にいろいろの波があっても、大局的には必ず仕事は順調に進み、しまい には楽しさのなかで、仕事が仕事を導いてくれるようになる。 (平澤興 語録「生きよう今日も喜んで」致知出版)