今回の絵の説明をする前に現在描いている水彩画の原点についてお話ししたいと思います。
私が30才の頃、妻が病で医師から余命宣告を受けました。その時、私はすべてを医師に任せて、妻には何もしてあげられない無力の自分を知りました。今、自分にできることは?
妻は来年の桜を見る事かできないことに気づき、山手の桜を描いて妻の脳裏に残してあげようと桜を描き、妻の枕元に飾りました。結果、しばらくすると妻の痛みが和らぎ気持ちが落ち着いて夜も眠れるようになりました。
そこで、毎週一枚ずつ花の絵を飾りました。すると妻だけでなく、看護師さん、隣のベッドの患者さんが私も眠れるようになった。癒されて疲れがとれると喜んでくれました。
妻のベッドには多くの人たちが集まり楽しい病院生活を送り、その後二十余年延命できました。この時、画壇に認められる絵ではなく誰にでも愛される温もりと安らぎを与えられる絵を描いていこうと決めてから、作画するうちに心や感性も磨かれてきたように思います。
今は大自然の森羅万象から神仏の慈悲の心を感じられるようになり、その心をお届けしたいと思い描いています。
この蓮の絵は、時節柄コロナ、時事、経済と暗いニュースが流れ私の心も沈みがちになり、作画の意欲がなくなり悩んでいた時でした。日課にしている未明の散歩中に小さなお寺の蓮池に出会いました。蓮の花を見ているととても爽やかな気分となり、その後一週間ほど未明のスケッチに通っている間に、この蕾と出会いました。
この寺の住職は、毎朝5時から庭の清掃をし、草木、庭の石にも水を与え清め、訪れる人々のために、仏さまと人との良い縁をもってほしいと念じているとのことでした。
住職の清い心と水を浴びて、草木、石も生気に溢れて輝きを放っていました。その庭の隅で蓮池は大きな緑の葉に覆われ、清楚な緑の中にスッと垂直に伸びた蕾の姿は、一瞬のうちに私の感性を捉えてしまいました。また、仏道にも通じる姿でもあり、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を想起したと語ってくれる人も多くいました。こうした画材に出会う事ができたのは、学び育てられた感性と仏縁のおかげと感謝しています。
これからもこうした感性を磨き、尊いご縁に導かれ作画活動を続け、少しでも多くの皆様に喜んでいただけるよう描き続けていきたいと思っています。
そのために、自分の心を常に「空」とし、中庸を保った生き方をしていかなければと思っています。
絵を描くのは難しい、能力がないとできないといわれる人がおりますが、絵を描くことは子供からお年寄りまで誰でも描ける楽しいものです。
絵は楽しく描き続けることによって、自分の成長と共に変化していきます。私も幼児の時のぬり絵から始まり、自分の成長(年齢、境遇、生活の変化)と共に心と感性が育ち今日に至っております。その時その時に感じたままに描く事により、絵も変化します。絵を描く事により素直に自分の心を知り、育てられます。
ステキ! 好き! キレイ! と思ったら、思ったままに描いて楽しめば良いと思います。まず、自分が楽しむことが良いのです。私の仲間は、楽しく話し、食べ、笑ってから描いています。
楽しい作画をして心を育てませんか?そのお手伝いもさせていただきたいと思っています。(田邉昭)